「誰が火葬のOK出したんや」兄はどこへ消えたのか?
ネットウォ-キングでニュ-ス報道を散見してたら、ショツキングな記事を発見。(右欄記事参照)
まるで映画かドラマのような、一人で生活されている方にはショツキングな内容である。詳しい内容は当事者でもないので分からないのだが、右の記事の内容からも、行政の組織というのは、身も凍るような冷たい組織であることが節々に読み取れる。この時系列の中で、一人でも、身内に接するような心のある行政マンがいたなら、こんな顛末には成らなかったと思われる。
それにしても、怖い時代になってきた。行政組織が、ここまで、硬直した冷血な人々によって運営されているのかと思うと、空恐ろしい時代になってしまった😁。
右のような名誉教授でも、一つ歯車が狂うと冷血で硬直した行政組織によって、身元不明の「無縁仏」として処理され、遺骨さえ残せない存在として、この世から抹殺されてしまうのだ。
硬直した冷血な組織の公務員が、一方では湯水の如く税金を浪費して日本経済を崩壊させ、最近30年間の世界史でも皆無の歴史的な日本崩壊の片棒を担いで、日本国民を窮乏させ、日本を滅亡へと導いているのかと思うと、行く末の日本の未来も案じられてならないのだ😁。これから生きる日本の若者は、この現実を直視すると不運としか言いようがないようだ、南無!
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事の顛末
(NHK WEB特集2024年4月4日 20時55分京都府)
溜まった郵便物。
窓からは山のような本が積み上がって見える。
ただ人が住んでいる気配はない。
彼はいったい、どこへ行ってしまったのか。
(4月5日の「おはよう日本」朝7時台で放送予定)歴史学者の“失踪”
2022年の4月のこと。
元大学教授の今西一さん(73)と連絡が途絶えた。
堀和生さんは今西さんの学者仲間で、50年来の付き合いがあった。
民衆史の研究者である今西さん。
北海道の大学を定年退職後、京都の自宅で一人暮らしをしていると聞いていた。
ついこの前の正月も、今西さんと年賀状や電話のやりとりをした。
退職後も精力的な研究活動をしている今西さんのことだ。海外調査にでも行っているだろう。
そう思って、最初は深刻には考えなかった。
しかし、連絡がとれなくなってもう3か月が経つ。
さすがにおかしい…
思い切って京都市内の今西さんの自宅を訪ねることにした。
すると、郵便受けには郵便物がどっと溜まっている。
ああ、これはただ事ではないー
堀さんは、すぐに近所の交番に駆け込んだ。
「知人と連絡が取れず、家は荒れた状態なので、調べてください」
警察官に訴えたが、台帳を見て調べたうえでこんな返事が返ってきた。
「警察は第三者に対しては何も言えません」
「調べたかったら弁護士を立てたらどうですか?」
それでも堀さんは食い下がった。
「とにかくちゃんと見てくれませんか」
しぶる警察官とともに今西さんの家まで行き、周辺を調べた。
窓からは本が積み上がっている様子がうかがえる。が、人が生活しているような気配は感じられない。
警察官とともに近隣の住民に聞き込むと、こんな答えが返ってきた。
「正月明けの朝に救急車で搬送されました。それっきりです」
家に入ることもできず、なんとか親族に連絡を取れないかと考えた。
今西さんには兄弟がいたはずだ。
調べていくと、今西さんの弟夫妻と連絡をとることができた。
家は電気がついたまま
弟の今西恵一さんと妻・淳子さんは、車で10分ほど離れた、同じ京都市内に住んでいた。
「堀さんに言われなければ、本当にわからなかった」
堀さんから連絡を受けた夫妻は、寝耳に水だった。すぐに兄・一(はじめ)さんの安否を確認しに向かった。
最初に家の中の様子を見に行ったのは、妻の淳子さんだった。
「バイクですぐ行きましたら、電気が、廊下灯がついているのが見えました。あれっ?と思って一瞬ひるみました。家に鍵はかかっていました。合鍵を預かっていましたので、それで中に入りました。もしかしたら戻って来ているのかもと思い、『お義兄さん!お義兄さん、いますか?』と呼びました。でも、返事はありません。なぜか台所の窓は開いていたんです」
救急搬送されたというのなら、救急隊の方が窓から出たのかもしれない。
淳子さんは消防に連絡した。
しかし、そこでは詳細を教えてもらえなかったという。
今度は警察に行って尋ねると、搬送先の病院までは知ることができた。
その病院に電話をかけると、「明日医師が来るから連絡してください」とのことだった。
最後のおせち
淳子さんは、一さんが北海道から京都に戻ったとき、家探しも手伝っていた。両親も既に亡くなり、結婚はせず1人暮らしということで、時々様子を見に行っていた。
盆や正月には、夫婦で一さんと一緒に食事をしていた。淳子さんはその様子をこう振り返る。
「お義兄さんは、とてもいろんなことを知っているんです。本当に難しいことから芸能界のことまで。楽しそうにお話しする方でした。なかなか携帯電話には出ない方なので、ときどきご飯を作ったりして定期的に様子を見に行っていたんです。体調はあまりいいようではなかったので『無理せんといて下さいね』と言っていました」
「兄は亡くなったんでしょうか」
搬送され、家に戻っている様子もない。淳子さんからその状況を聞いた弟の恵一さんは、“兄は、もしかしたらもう…”と頭によぎった。
1948(昭和23)年生まれの兄・一さんと恵一さんは、9つ違いの兄弟だった。幼い記憶にある中学生の兄は、柔道やプロレスが好きだった。
「とにかく本が生きがいで、お酒も飲まない、車の免許も持たない状態で、生粋の学者肌みたいな感じでした。兄は北海道の大学に勤めていましたし、私も社会人になるとさほど話す機会は多くなかったんですけど、兄は母親が好きで、よく京都に戻ってきていました」
今度は恵一さんが、実の弟だと名乗って病院に電話をかけた。
「兄は亡くなったんでしょうか?」
しかし、病院側からしばらく情報の提供はなかった。
ようやく情報が得られたのは、恵一さんがみずから病院に「死亡診断書」の発行を申請してからだった。
「死因 急性心筋梗塞」
兄はこの病院で、確かに亡くなっていた。
堀さんが家を訪ねてから、すでに1週間が経過していた。
「兄は最期どんな状況だったのでしょうか?」
病院で死亡診断書を受け取った際に、そう尋ねた。
しかし、担当医がすでに退職してわからないとのことだった。
無縁仏
“兄に何が起きたのか?最後はどこへ行ったのか?”
行政からも、誰からも何の連絡もなかった。恵一さんたちはさらに自力で調べるしかなかった。
3週間たって、たどり着いたのは、京都市が管理する納骨堂。宗教宗派の別なく「無縁仏」となった人たちも納められている場所だった。
恵一さんは園内にある納骨堂の事務所を訪れた。
「今西一は、ここにおりますか」
すると、担当者はパソコンを見ながら、何も言わずに首を縦に振った。
兄はすでに火葬され、骨になっていた。
やはり“身寄りのない人”として埋葬されていたのだ。
「せめて遺骨は取り出せませんか?」
だが、事務所の職員はそれはできないと回答した。
なぜ何の連絡もなかったのか
「そんなばかな…」
当初はただただ驚くばかりだったが、すこし落ち着くといくつも疑問が湧いてきた。
“近くにいたのに、なぜ何の連絡もなかったのか”
“いったい誰が火葬の許可を出したのか”
“兄はどんな最期を迎えたのか…”
“なぜ遺骨は取り出せないのか”
行政に問い合わせたが、詳しい説明はなかった。友人の堀さんとともに、経緯を調べた。
それから2年の月日が流れた。
そして、ことし2月。京都市は今西さんの死の経緯について、恵一さん夫妻らに対して「説明する場を設けます」と伝えてきた。
“真相”
「時系列でご説明させていただきたいと思います」
出てきたのは、京都市伏見区役所の醍醐支所の「総務・防災課」の課長と係長だった。2人とも、当時の担当者ではなかった。
ではなぜ、“身寄りがない”ということになったのか。
京都市の職員は、家族の情報を確認するため「戸籍」の情報を調べてはいた。しかし、弟の恵一さんがいるとの情報にはたどり着けなかった。
問題は、調べた戸籍情報の範囲だったという。
兄の一さんの本籍地は、引っ越しなどで何度か移っていたが、当時、職員は京都“市内”にあった戸籍情報だけを調べていた。
だが、兄弟の記載があったのは、家族が京都“市外”にいたときの、以前の戸籍情報だったのだ。
「調べる範囲を“市内”までということで判断させていただきました。ご両親も亡くなられ、ご結婚もされておらず、お子さんもいないという状況でしたので、『親族はいらっしゃらない』と判断してしまいました」
“ルールなき”葬送
判断の根拠は何だったのか。
市町村が行う埋葬については法律にこう書かれている。
死体の埋葬又は火葬を行う者がないとき又は判明しないときは、死亡地の市町村長が、これを行わなければならない。
一方、身寄りがいるかわからないケースで、親族の有無をどこまで調べるべきか、具体的な規定はない。
そのため、調査範囲は、各自治体の判断に委ねられているのが実情なのだという。
京都市の職員は弟夫妻にこう釈明した。
「マニュアルといいますか、要するにどこまで調べるべきかという明確な規定がなかったところかと思います。結果として、ご兄弟様がご近所にいらっしゃるにもかかわらず、至らなかったところについては、課題があることだったと思います」
調査にかかる「期間」も障壁の1つになった、と職員は説明する。
京都市内の戸籍調査ならば3日ほどでできる一方、他都市の調査となると通常2週間ほどかかるという。
「われわれも長期間(ご遺体を)お預かりするのも、なかなかちょっと困難な状況ですので、調査に時間がかかる、今回のようなケースにつきましては、先に火葬、短期納骨をさせていただき、その後、お申し出があれば引き取りができるよう個別対応していくということでして」
そのうえで「遺骨は取り出せない」と話した納骨堂での担当者の説明は誤りだったとして、職員は謝罪した。
話し合いは2時間に及んだ。
恵一さんたちは職員に対しこう伝えた。
「多死社会」の現実
近くに親族がいたにもかかわらず、誤って“身寄りのない人”として火葬してしまった今回の事態。
取材を進めると、国が明確なルールを示していない中、今回のケース以外にもさまざまな混乱が起きていることがわかってきた。
去年、2023年の1年間に亡くなった人の数は、約159万人(速報値)。高齢化に伴って右肩上がりで増え続け、平成元年と比べると倍近くで過去最多となっている。